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  • 2012.09.04 Tuesday
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バカルディを見に行った日

 

元ヤンの友人イナバが居酒屋で板前をしていた頃。

 

漫画を描いてる僕の仕事場に彼はむくれてやってきた。



 

「また店長殴っちった」と、勝手にソファーにひっくり返って

 

いつもの「お水タバコパーラメント」をふかしてる。

 

いつものことだからほって置いたら

 

「玲司・・俺、芸人になる」

 

と言い出した。

 

彼は浅草生まれで、祖母はあのたけし欽ちゃんのいた「ロック座」で

 

三味線教えていた芸の人だ。

 

「芸人なら俺なれる、俺、面白いじゃん」

 

確かにこの発言はかなり面白いけど、

 

「じゃあネタとかあんの?」

 

「ない!」

 

話にならないんで、

彼をつれて「お笑いのライブ」を見に行くことにした。

 


「ぴあ」で調べると「バカルディLIVE」の文字。

 

うん、センスいいコントやってたしこの人たち見にいこう。

 

なんて、会場についてみるとお客は10人ほどしかいない。

 


なんか切なくなって、僕はサクラみたいに

 

「ひゅーひゅー」言って盛り上げた。

 

大竹さんが「いいね、ひゅーひゅーが出ると安心すんね」と言った。

 

そのときのコントはあの「散髪コント」に「医者コント」

 

本気で面白かった。

 





その日からイナバは「芸人になる」なんて一切言わなくなった。

 

「バカルディ」は「さまあ〜ず」になって、

 

テレビで見ない日はないくらいの売れっ子になった。

 

2人を見るたびにあの日のガラガラの会場を思い出す。

 

彼らは僕とほぼ同じ年。あれは多分24歳くらいのことだった。

 



あまり言わないけど僕はひそかに

 

「いいぞ、さまあ〜ず・・」と、応援している。

 


その頃の山田玲司





今週の山田玲司

なんたる劣化・・・


ネーム戦記

 

ネームで苦しんでる全国の「漫画人間」の皆様、お元気ですか?

 


昨日また50ページボツになった漫画家、山田玲司です。


(「 いったい今年何百ページボツくらったんだ」と、鴨に言ってみる)



でも、担当は熱い男でいいやつだし、

編集長の言うことも納得できるので、

 

感謝しつつ戦います。

 

無理すんな?

 

無理こそ我が人生。

 

この年でまだ「くそー・・・やるぞこのやろう」

 

なんて、やってられる人生に感謝。

と、言い聞かせる人生。
 



2転3転、
4転5転してなんだか最初に描きたいと思っていた漫画に

近くなってきた。

これはありがたいよ、某担当くんと某編集長。



でも簡単にキャラは降りてこないので何度もネーム徘徊に出て、

 

あぜ道とか貯水池沿いを歩き回って

 


数時間、空を眺めて考える。カフェで1点を見つめて数時間。




 

仕事場に戻って、考えて、またソファーで寝てしまう。


 

睡眠は3,4時間しかできない。

 

夢でも漫画のことばかり。

 

いいんだ。こういう人生を望んでたんだ。

 

と、またペンを握る。これでいいのだ。

 

ここはJAPAN。漫画のハリウッド。

 

これでいいのだー




(最近のお気に入りネームカフェ でもすぐ子供が走り回って退散多し)


松任谷正隆となだぎ武

 

松任谷正隆さんがユーミンと深い喧嘩をした時に

 

「俺の人生を返せ」と言ってしまったことがある、と言っていた。

 


強烈なセリフだ。

 

どんな名曲の歌詞でもかなわない、深い一言だ。

 


ユーミンは「私たちはチームでしょ」と言ったそうだけど

 

素直に受け入れきれないという正隆さんの気持ちはわかるなあ・・

 


ユーミンは自分たちの音楽を「NEWミュージック」と宣言して、

 

それまでの泥臭い音楽をすべて「OLD」にしてしまった人だ

 

70年代から音楽の女王として質も売り上げも完璧な結果を出した。

 

しかも、音楽に殉じて女を捨てたりはしないわ、と

 

才能あるハンサムで優しい男と結婚。

 

それが正隆さんなのだ。

 

ユーミンから見れば完璧な人生だ。

 

彼女に憧れる女の人にも完璧な「お手本」だ。

 

だけど、その物語の1部にされた形の正隆さんにとっては

複雑だろう。

 

「リカちゃん人形」のボーイフレンドの「なんとか君」

じゃないんだからね。

 

自身も一流の音楽家である正隆さんが悩まないわけがない。

 

でも相手は女王なのだから、大変な戦いだ。

 

アイデンティティクライシスだ。

 

それでも彼はユーミンを支え続けた。

 

なんて優しい人なんだろう。

誰かが表彰しないと駄目だろう。

 

あ、ユーミンがやってるか・・

やってなかったらゴルゴ13がドキューンだろう。
 


 

最近このケースで目立ったのが「なだぎ武」さんだろう。

 

R−1で2連覇してもなお彼の扱いは「友近の彼氏」だった。

 

別れても誰も責められないだろう。

 

ゲゲゲの女房的な内助の功は称えられても、

 

「支える男」は称えられないのかJAPAN。

 

でも女王に生まれるほうも大変だし・・・

 

それにしても何で俺はこんなことで心痛めてんだ?

 

知り合いでもないのに・・



 
それぞれに葛藤が・・・に見えてしまう


タモさんの絶望


毎日タモさんは「そうですね」と戦っている。


 

何を言っても「そうですね」のお客さんは

 

多分「何かの象徴」

 

アウトローの代表が何の間違いか「お昼の顔」になってしまって

30年。

 

タモさんだけがあの舞台にいつも通りに存在して

 

後はすべてが流れ去る。

 


タモさんは「いいともはティッシュだから」

などと名言を吐いていなさるが、

 

その絶望と孤独は「タモリ倶楽部」の趣味ロケだけで癒せるのかなあ

なんて思う。


 

タモリとは「知的な狂気」で「この世にいない天使」

 

まさに映画「ベルリン天使の詩」だ。

 

「今日も心がここになくてもいいかな?」

 

「いいともー」

 




「タモさん自殺しちゃだめだよ、お昼のティッシュなんて休んじゃいなよ」

 

なんて、テレビに言う俺の絶望。(それはいいか)

 

1度前説の人が「そうですね」と、お客さんに言わせるのを止めて

 

今日はタモさんが何を聞いてもお客さんには

 

「そうじゃないです」と言わせたらタモさん喜ぶかなあ・・

 


そんなに甘い絶望じゃない?

 


そうですね。



仮面の男は涙を見せない。


終わらない愛はあるか?感情事故編


そんなわけで「別れない方法」とかの話の続きですー

寒いねー。何かと。

愛で悩む人ばかりだねー

愛って何?だねー(下のはNGの灯さん)



「ラブって何よ」だねー

そんな曲を歌ってるセクシーユニットあったよね。

 

彼女達がどこかで幸せに暮らしていることを願いながら、

続きでーす。

 


「最近の若い人は恋愛が続かないんです」って

宮台さんは言っていたけど

 

大人も続いてるとは思えないけどね、

ほとんどが嘘にまみれてやり過ごすものだしね、

 

これが人生。でも、嘘の中にもラブはあるのが人生。

 

この辺が人生のあなどれないとこだにゃあ。

にゃあ?

 

 

では、授業を始めます。

 

 

そもそも「男と女が別れるのはどんな時か?」

 

そうです、「感情が爆発した時」と、「疲れ果てた時」

 

「そもそもの選択に間違いがあったことを受け入れた時」

などですね。

 

もちろん肝心なのはその「水面下の問題」

 

この人と付き合うことのメリット、別れて失うもの、

続けて失うかもしれないもの、

 

などの相手にはとても言えないような

醜い計算が水面下に渦巻いているのが

 

「別れの予兆」です。

いいんです醜くて。

人間だもの。

セラビだもの。

 

 

(行かないで・・の犬)




でも、色々あるのを乗り越えたからこそある2人の関係、

みたいなのもある。

 

ドラマERでよく出てくる

「一生愛し合った夫婦が死に別れるシーン」のあの感じね。

 

ERは比較のドラマで「悲惨な人間関係」と「美しい人間関係」を

 

平行して描くことで深く人間を描こうとする傑作だ。

 

そのため「愛が終わる男女の話」が出る時には、

 

「愛の終わらなかった男女」が必要なんだろう。

 


でも、あれだけ良くできたERの脚本でも

 

そんな夫婦が何度も出てくると違和感がある。

 

「そんなにいないっすよ、チームマイケルクライトーン」

なんて言いたくなる。

 

でも「悲惨な男女」がいくら出てきても

 

「あるある」って見ていられる自分が情けないね。あはは

 


で、今回は感情が爆発して別れるパターンについて考えます。

 

「なんかもう無理―」って言って、勢いで「別れよう!」とか

 

ありがちなのは、プライドが「ふられること」を許せなくて、

 

「捨てられる前に、捨ててやるわ」とかやっちゃうやつですね。

 

僕はこの爆発による別れの時を

「別れのティッピングポイント」呼んでいます。

(関係ないけど江守博士はパリで気候変動会議で活躍中)

 


えー、つまり引き返せない地点です。どかーん!です。

 

でも付き合うたびにこのパターンを繰り返してたらきりがない。

 

第一人間なんて簡単に相手のことがわかるわけないんだから、

 

よく知らないうちに「なんか違う、終わりー」

じゃもったいないよね。

 

 

 

それに「私は私よ」はいいけど「感情が私でいいのか?」

ってのもある。

 

なにしろ「お腹が減ってる」だけで違うことを言い出すのが感情だ。

 

自分の「心の器」に余計なものが入り込み過ぎている時には、

ろくな判断はできない。

 

器に「仕事」だの「人間関係」だの「将来の不安」だのが

入ってない時は、

 

「まあ、聞きますよ」みたいになるけど、

 

それどころじゃないくらいに色々な問題が

小さな器に入っているときには

 

問題のある相手に会わないほうがいいし連絡も程々にするのが

 

別れの事故を避ける基本だと思う。

 

(別れても後悔しないならいいけどねえ)

 

 

2人が恋の魔法に酔いまくりの時期はいいけど、

危険因子がある時期は、

 

先発ピッチャーのようにコンディションを整えて

マウンドに立たないと打たれます。

 


だから問題山積みで会うときは、誰かに愚痴って、たっぷり寝て、

甘いもの食べて、

 

都合のいい考えを抱え込んで、好きな服を着て、好きな曲を聴いて、

ニコニコして会う。

 

それでも、ストレスが限界まで来ちゃうなら「会わない」

 

もし一緒に住んでるなら「別行動」。

 

 

「感情をなだめてくれるのが恋人じゃないの?」

っていうのもわかる。

 

でも年がら年中それをやらされていると

その恋人はどこに癒しを求めたらいいんすか?

 

みたいにもなるんで、

ほどほどにするのが「お別れ事故」を避けるコツだろう。

 

まあ1つはっきり言えるのは

「許せる力」と「器」の大きさがものをいうってこと。

 

桑田さんの奥様「原由子さん」の器のでかさは

会ったことないけどわかるもんね。

 

最初に笑うのも最後に笑うのもああいう

「相手を許せる大きな人」じゃないかなあ。


 

では、「どうすれば、器を大きくできるか?」

は、またいずれにゃ。

 

 

 次回は「つまらない人だと言われて捨てられない方法はあるか?」だにゃーん。

サステナラブのために

 

えーそんなわけで真夏からいきなりの「初冬感」ですね。


 


2007年に「もう完全に後がない」と言っていたのに、

 


CO2は増えてるし、現実と対策の温度差計り知れず。

 


花粉症で「春」が奪われて、今度は「秋」がなくなるのかな。

 


まったく何て時代に生きてるんだろう。

 


嫌な予感は当らないでほしいなあ。

 



「さんざん地球温暖化とかで騒いで、何もなかったらどうすんの?」

 

なんて言う人もいるけど、

本当はそれが1番いい。

 

できれば、世紀末の人類滅亡予言の時みたいに

「何もないじゃん」で、お正月。

 

ってのが1番いい。

 


でも、今回は違う感じがするので、薄ら寒い気分だ。

 

(うーー、恋愛論書こうと思っていたけど、今度にします。

ごめんね、昨日の続きは待っててね)

 


「愛って何?」なんて言ってられる時代が続くといいなあ。

 

 
そんな気分を描いてる「ゴールドパンサーズ3巻」

サッカー漫画なのにね。


終わらない愛はあるか?

 

先日友人に「どうすれば恋愛が長続きするの?」って聞かれて

 


うーん・・こりゃ、簡単に答えられないなあ・・って思って

 

じゃあブログに書くねって言ったので、久々にNGやります。

 


何それ?って?



ネットのカリスマ恋愛救世主「NG」って漫画、

 

10年くらい前に描いてたんです。(ううう・・)

 

これまた恥知らずな企画だけど、

途中からは「表現とは何か?」みたいな

 

芸術論漫画になってきて、

またしても「エンタになりきれない半端な変な漫画」

 

になって打ち切られた漫画です。

(でもなぜか韓国なんかでも発売されてる)

(あの純恋愛感が韓流っぽいのかな?) 



それはともかく恋愛って人間にとって避けがたいテーマだもんね。

 

どんな人でも苦しんでるもんね。

 

「終わらない愛が欲しい」って、

レニークラビッツが言っていたもんね。


 

フィリップドゥクフレ(フランスのスーパーアーティスト)は

インタビューの時にずっと「別れそうになった恋人のこと」を

考えていたしね。

 

世界的に成功してる人も関係なく「愛には悩む」みたいだ。

 

 

世界と言えばあの「坂本龍一さん」も

 

「俺たちも女で悩まなかったら

どんだけ沢山仕事できたんだろうねって

 

ビートたけしと話してたんだよねえ」みたいなこと言っていました。

 


寂聴さんは「恋愛は落雷なんだから避けられないの」って

よく言っている。

 

「だからね、仕方ないんです」って寂聴さんは言う。

 

辻人成兄さんの曲の歌詞に

「愛はいつも手ごわいもの、心して挑めよ」

 

ってのがあるんだけど、これもいいね。

 

そういえば桑田さんの新曲もこんなテーマだったな。

 


みんな大変。


そんなんでまあ「愛に悩むのは当たり前のこと」なんだろうね。

 

で、多くの人が言うのは

「恋愛は無いよりずっといい」だ。

 


僕は「今の時代に恋愛以外で人が成長するのは難しい」と思う。

 

なにしろホルモンまで暴れるからね。「本能」関わるしね。

 

で?どうなのよ?答えは?・・ですよね。

 


うーん・・長くなるなあ・・やっぱり・・・

 

この話、何回か書きます。

 



・長く相手と恋愛を続けたければどうすればいいか?

 

1つ簡潔な答えがあるとしたら、

「出会った時の状態そのままの相手を受け入れる」かもね。

 

 

ついつい相手を「自分のいいように」変えたくなるけど、

 

人間には出会うまでの長い歴史があって、

その流れをいきなり変えるのは不可能だし、

仕事も友人関係も、細かい癖も価値観も、

 

なんならその人の親や祖父祖母の代に遡って受け入れないと、

「持続可能な恋愛」は難しい。

 


「でも、それじゃああたしが・・」ってのも

よくわかるんだけどねー。


 

人は変わるものだし影響は受けるものだから、

一生変わらないことはない、と腹をくくって、
 


「あなたはあなたのままでいい」から始める。

 

意外なことにこれ僕がNGで書いていた恋愛最強の言葉に重なるね。

 


「そのままでいいんだ」

 



うひゃー、恥ずかしいけど10年たっても変わらないね。

 

何?「そのままじゃ嫌なの!」?

 


ですよね。

 

では、どうすればいいか?また書きます。







このへんノリノリです。NG。またこういうの描きたいねー。


人生は戦いか?ゲームか?

 

 

歌手の川嶋あいさんに「人生とは何ですか?」と、聞くと、

 

「戦いです!」と言い切りました。

 



なんてかっこいいんだ。

 

でもねえ、それじゃあ疲れるし傷つくし、時代はスロウで協調だし、

 

なんて、

理屈ではわかっていても僕はずっとあいさんと同じ生き方で・・

 

多分今もそうなんで、とても否定なんかできない。

 




あいさんは実の母親と生まれた直後に死に別れ、

実の父は行方知れず。

 

育ての父も10代の時に亡くし、

育ての母と共に歌手を目指してたけど

 

売れなくて契約打ち切り。

 


そこから路上ライブを1000回、

CDを手売りで5000枚を成し遂げるのだが、

 

その最中に育ての母を亡くすのだ。

 


いったい「戦い」じゃなかったら何だろう。

 

あいさんは今、自分の収入で途上国に学校や育児施設を作っている。

 

ちっちゃい女の子だ。まだ24歳だ。

 



角川春樹さんは「人生はゲームだ」って言ってい

た。

 

2世のプレッシャーからの大成功から逮捕、

闘病・・そして復活の人生。

 

ゲームとして楽しんでる・・・かあ・・

 

かっこいいけど僕にはまだその余裕はないねえ。

 

何回も「ゲームだ!これはゲームなんだ」って

 

自分に言い聞かせてきたけど、なかなかそういう気分になれないのは

 

修行不足なんだろうね。

 

だから今はあいさんが書いてくれた

 

「人生死ぬまで戦え!NEVER GIVEUP!」

 

って書を玄関に張ってます。

 

感じるんだよね、リアルなパワーが放射してるのを。



「もう戦うなよ・・」なんて、

無理しがちな人には言っちゃいそうだけど

 


人生は戦いだ。

 

多分相手は死ぬまで自分自身だ。

 


悟れないねえ。馬鹿だよねえ。

死ななきゃ治らないねえ。






こんな漫画の裏にも深すぎる葛藤  自分に疲れる


女の子のセリフ


男のくせに脚本だの漫画のネームだの書く時は

 

女の子のセリフまで書くわけです。(その逆もある)

 

これはなかなか面白いことです。

 

いいオヤジが女子高生のセリフを書いたりすることもあるわけです。

 

「あなたががんばってるの、ずっと見てたよっ」

 

とかねっ。


でも漫画やアニメでは「おいおい、こんなこと言わないよ普通」

みたいな痛いセリフも

 

読み手との共同幻想だから「有り」なことも多いけどね。


 

クドカンのセリフの上手いとこは、

型通りのセリフをひたすら避けながら(茶化しながら)

 

ここ1番でど真ん中の直球を投げ込むところだと思う。

 


「ここ1番で我を忘れる才能」は物書きには不可欠だと思う。

 

「こんなこと恥ずかしくて書けねーよ」っていう

「自意識」を吹き飛ばす創造のパワー。

 

これが無くなると「伝わるもの」は書けなくなります。

 




(僕の「我を忘れたド直球セリフ」原稿)なつかしい・・




ちなみに僕が好きなセリフは

 

「ああ・・これ脚本家が実生活で直接聞いたセリフだろうな」

 

って思わせてくれるようなセリフです。

 



逆に実生活でドラマみたいなセリフを言うこともあるね。

 

「わかったようなこといわないでよ!」

 

なんてね。

 

ちなみに

 

僕ら男って「わかったようなこと」言うよね。

 


わかるわけないのにね。


 


KTなやつ


KY
っていう言葉がどうにも嫌いです。


 

「空気読めよ」というという感じ。

 


「あいつ空気読めないじゃん」っていう目線って何だかなあ。

 

「そんなこと気にしてたら、ろくなもんになんねえぞ、

 

気がついたら変な借金背負って、変な相手としたくもない

 

結婚してたり、俺の人生って何だったんだ、みたいになるぞ

 

このやろう、空気なんか読んでんじゃねー!」

 

なんて、

 

言いたいけど、

もしアシスタントが締め切り前の修羅場中に

 

「すみません今日ゲームの発売日なんで帰ります」

 

なんて言ってきたら「てめー空気読めよ」とか

思っちゃうだろうけどね。

 

最低限の協調性は当たり前ってことにしてね。


でも何だろうね、
KY批判のいやな感じ。

 

空気読むってのは自分を消して「場」になることなんだよね。

 

だから仕事場に「空気読むのが上手いです」って言う人がきた時は

 

面白くもなんともないもんね。

 

邪魔しないけど面白くない。

 

こんなつまんない人間になるのが正解なのかねえ。

 



僕が思う正解は「空気を作るやつ」だ。

 


うん、「いい空気を作るやつ」が正解。

 

KTだ。なんなら「いいくうきつくる」でIKTか?

 

GOODでいくとGKT

何でもいいや。

 


あの昭和のダンディな文豪「吉行淳之介」さんは

 

「彼が来たとたん酒場の空気が明るくなる」

って言われてたらしい。


 

ときわ荘の寺さんとか、印象派のリーダーのマネとか、

 
みんなに心地いい緊張感と安心感を与える人だったらしい。

三池監督もそうだと聞きます)

 



僕の幼馴染の親友はタクシードライバーで、元ヤンキー、

 

時間と金にルーズなろくでなしだけど、天才的IKTだ。

 


僕がなかなか人気が取れなくて死にかけている時に仕事場に入ってきて

 

「よう、何だ、まだ売れない漫画描いてんのか、やめちまえよ」

 

と、笑いながらタバコを吸い出すのだ。

 


「馬鹿やろう天才漫画家をなめんなコラ」

 

なんて言い返しながら、何度救われたことか。

 


KT
でいこう。いいKTなやつになろう。

 

ろくでなしでも「明日も頑張ろうかな」

 

って相手に思わせる人がいいよ。



その逆で「来たとたんに空気を最悪にする人」もいますけど、

辛い事が沢山あるんだろうね。


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