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  • 2012.09.04 Tuesday
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藤井リナの挽き肉

藤井リナという、恐ろしく整った美人が

 

「挽き肉事件」で彼と喧嘩した話をテレビでしてた。






 

彼と2人で料理をしてる時、そぼろを作ろうとしていた彼女は

 

うっかり挽き肉の半分を床に落としてしまったという。


 

なんかその状況が可笑しくて大笑いしていた彼女に彼は

 

「お前、食べ物を粗末にするなよ」と説教をしたという。

 

彼女は「でも、いいじゃん床汚くないし、

下のほう取って火を通せば大丈夫だよ」

 

と言ったら彼は

 

「そんなの無理だよ、もう使えない」と言ったらしい。

 

その瞬間彼女は気持ちが冷めて

 

「死んじゃえ」と思ったらしい。

 

彼女はこの時のことを何度も思い出すと言っていた。


 

興味深い。

 


どう考えてもこの件で判る彼は人間的に「まだまだの所」にいる。

 

「食べ物を粗末にするな」という一般論でマウントをとるくせに

 

「こんなのもう食べられない」では

 

食べ物を粗末にしてるのは自分だ。

 

このタイプは「バカ」であることが多い。

 

しかも、治り難いケースだと思う。

 

「別れて正解」だと思う。

 


そこまで彼女は分析してないだろうけど、この瞬間彼女の中で

 

「別れのティッピングポイント」を迎えたのだと思う。

 


せっかく好きだと思っていたのに、ハズレだったのね、

 

という学習(悲しみ)が無意識に刷り込まれたので、

 

彼女はこの瞬間を何度も思い出すのだと思う。

 

その記憶は次に同じ間違いを踏まずに

 

「さらに優れた遺伝子を持つオス」を狙うために使われるのだ。

 

ひー

 

 


「なんかもう無理」という女の動物的判断。

 

これに勝る理屈なし。

 

 

それにしても1人で「グータンヌーボ」を分析してる僕の絶望。


でも人間って面白い。

 


 

矢吹ジョーの出た絶薬

今週の絶薬で僕は「矢吹ジョーさん」と対談してます。




 

もう謝るしかないね。

 

でもね、「今の時代を見たらジョーはなんて言うか?」

 

描きたかったの、なんとなく。

 

「これが俺たちのあしたなのかい?ジョー」・・・なんて。

 




だって、「ジョー」はいい作品だよ。

 

なにしろ誠実。

 

しかも団塊世代の魂の象徴。

 

僕の世代はバブルの頃に大学生だったので

「バブル世代」と言われるけど

 

当時本当にバブルに踊っていたのは、

あの「団塊世代」だったと思う。

 



僕の世代にも親のカードで遊ぶバカがいたけど、それでも学生だ。

 

当時団塊世代はギラギラの40代。金も地位も精力も溢れていた。

 

僕の同世代の美人は彼らに狙われていた。

 

ヘネシーとかティファニーとかで・・

 



おい団塊、「造反有利」は?「マルクス」は?「東大解体」は?

 

なんて貧乏な僕は叫んでました。

 

まあ彼女たちも相当浮かれてたけどね。

 

そんな「祭り」を当時22歳の売れない漫画家だった僕は

 

「心のなみだ橋」で見ていた。

 

おい、団塊。ジョーは見てるぜ。

 





なんて、描きたかったんだけど、上手くオチなくてつい

 

「いつもの自爆オチ」・・・・

 

おっつあんすまねえー

 






でもね、当時団塊のおじさんに学生運動の話を聞いたら

 



「MCハマー踊れるんだぜ俺」と、言われた時の絶望が

 


忘れられないんです。

 


1人総括。






 

ヨーガ3 シンプルな救済

忘れないうちに伝えたいので書きます。

 

少し前のイベントで言ったけど、ヨーガのポーズ中の話。

 

長いことろくでもない使い方をしてきた僕の体。

 

たまにジョギングなんかしても、基本は座りっぱなしの漫画稼業。

 

脳と首と手首ばかりを酷使して、食事は適当、睡眠も適当、

ストレスMAX。



 

それを24年。長生きなんかできるわけがない。

 

そんなグタグタでボロボロの体。

ヨーガなんかやれば途端に悲鳴を上げる。

 

「もう死ぬー」と思っている時にインストラクターが言う。

 

「スマーイル」

 

できませんスマイル!なんて思うけど、

それが可笑しくて思わずスマイルの僕。

 

すると不思議とポーズが続く。

 

インスト様と呼びたくなる。

 

インスト様は時に「痛みを味わってくださーい」などとも言う。

 

深いです、インスト様。

 

痛みは「味わうものなのだ」

 



うー



人生の苦難も味わえばいいのだ。

 

そして「痛み」は確実に「効果」に繋がる。

 

人生もそう。

 





何か始めると人は初心者になれる。

 

初心者は「発見の連続」だ。

 

それに「初心者は教わること」ができる。

 

始めることは自己救済。

 

 

 
アシのT氏フィーバー




シリーズ40代で何が始められるか?(ヨーガ編2)

 

またしても工藤投手がマウンドを降ろされそうだ。

 

カズも頑張ってるけど、スタメンは大変。

 

なんだかんだいいつつこの国では40代になると少しづつ

「中心」から外され始める。

 

こうなると頼れるのは「肩書きだけ」とかなるのは悲しい。

 

終わらせるなら、始めればいい。

なんて色々強引に始めてるんだけど

 

前回も書いたけど、今年1番の衝撃「ヨーガ」の話です。

 






アシスタントには「先生、OLですか」とかいわれたけど、

そんなのカンケーねー。

 



きっかけは「ジョンレノン」

 

ビートルズのインドブームは有名な話で

 

彼らはヨーガや瞑想をしているのだ。

 




オノヨーコさんがジョンレノンに出会った時、

 

「どうすればいい?」と聞いたジョンに

 

「息をしなさい」と言ったのは有名な話だけど、

 

このセリフの出所はおそらく「ヨーガ」だろう。

 



ヨーガの基本は「息をすること」なのだ。

 

これはポーズ中に息を止めてしまいがちなのを阻止するために

 

繰り返し言われるフレーズなのだ。

 

漫画でも描いたけどこの「息をすること」は

「地球全体と一体化しよう」という

 

思想的な意味もある。

 




ダコタハウスでヨーコさんはジョンと暮らした部屋に入れてくれた。

 

その時「ああ、ここでジョンは瞑想とかヨーガをしたんだ」

と思った時から

 

いつか自分もヨーガをやろうと決めたのだ。

 



ダコタハウス




もちろん代官山のチバレイの勧めも大きい。

 

もはやヨーガは自分の人生にセットされてて、出番を待ってた感じ。

 




ヨーガとは身体と精神と魂の統一を目指すものだ。

 

科学信者隊の皆様は

「出たな、スピリチュアルバカ」とか言いたいかもしれないけど

 

僕の通う教室はそういう匂いが全くない。

 

変な音楽もなし、照明は全開、

ハタヨーガというインドのヨーガの基本形を

26のポーズに選択したものを淡々と繰り返すだけだ。

 

でも、その26のポーズは

どういう効果があるか研究しまくって選ばれたもので、

 

順序も計算し尽くされている。


 

前半に立ちポーズ。限界です、となった頃に、

 

ただ仰向けに寝る「死体のポーズ」が入る。



 

ここでエネルギーを回復して、今度は寝たままのポーズとなる。

 

ここからは、ポーズの間に必ず「死体のポーズ」が入る。

 

生まれたり死んだりの繰り返しで(このへんも深い)

何とか
90分が終わる。


 

その間「シバ神をイメージして」とか

 

「宇宙と1つになるのです」とか

「帰りに壺を買わないと呪われます」とか

言われることはない。

 

ただ1つ終了時に


「世界の生き物すべてに感謝しましょう、ナマステー」

とインストラクターが言うだけだ。

 

心は体に支配されてるというけど、この時はまさにそれを実感

 

ひどいことになってた自分の体を組み直されて、

心も穏やかで広くなる。

 

 

生き物にはいつも感謝してるけど、

 



この時は心で
1人「生物感謝条約」に調印している。

 


ジョンがよく来てたカフェ



ヤマトの諸君とウチナーの諸君

 

しつこいけどまた「ヤマト」の話です。

 

聞いてくれる人がいないのか?

 

うん

そう、今ネーム地獄で人に会わないのでいないのです。

 

で、吐き出さないと気持ち悪いのでまだまだ書くかも。ヤマト話。

 

 

これは違う宇宙人 


宇宙戦艦ヤマトは敵が「外」にいる時代の最後あたりの作品だ。

 

敵は「悪」だし外圧だ。愛するものを容赦なく殺す存在。

 

だからこの時代の戦いに躊躇はいらない。

 

敵には家族も「顔」もない「ショッカー」みたいな戦闘員だから

 

ガンガン殺して「やったぜ」なんて言える時代だ。

 

鬼畜米英のイメージもこんな感じの「カオナシの敵」だったのかと思う。



 

でもこれが情報化時代になって、相手にも家族も恋人も友人もいる。

 

なんてことになると今度は「敵は戦争そのもの」になる。

 

これが「ガンダム時代」の始まりだ。

 

「悲しいけどこれは戦争なのよね」という世界。

 

ここでは「戦争を始める愚かな大人」が敵であり、

 

その中にも「見上げた人物」としての大人も出てくる。

 

このあたりの立体感が富野先生の偉業だろう。

 

敵も見方もなく「愚行たる戦争こそ敵」の時代。

 



この後に「敵は何だかわからないけど戦わないとダメだと

言われるけど嫌だよ」という

 

純文学の「エヴァ」が出てきて、戦争ものに終止符を打った感がある。

 

もう現代は敵が何だかわからないのだ。

 

敵は外にはいない「自分の内部」にいる時代なのだ。

 



こうなるともう戦争ものは難しい。

 

あえて言えば社会派の「ハートロッカー」とか

 

視点を変えた「第9地区」みたいなものしかないのかもしれない。

 

そこで「ヤマトリバイバル」となる。

 



これも違う



ヤマトは「日本人のため」を「人類のため」に変換して宇宙に旅立つ物語だ。

 

こういう見事な「変換」は今回の実写版でも引き継がれているけど

 

(敵もちゃんと「ショッカー化」してある)

 

 

でも、どうしても「地球のため」というスケールと

 

「ヤマト」という名の太平洋戦争の戦艦の間には違和感を感じてしまう。

 

あの時代はすんなり見られた「日本人だけの地球救助船」に

無理を感じてしまうのは

 

自分が変わってしまったからなのか?

 

 

沖縄の人は本土の人を「ヤマト」とか「やまとんちゅ」と呼び、

 

沖縄の人のことを「ウチナー」とか「うちなんちゅ」と呼ぶ。

 



このあたりのことは当時考えもしなかったけど、

70年代のヤマトブームの時。

 

唯一地上戦に巻き込まれた沖縄のウチナーの人たちは

 

どんなふうに感じてたのだろう。

 

 

 

今回のヤマトで最高に光っている森雪は、黒木メイサさんが演じている。

 

彼女は沖縄生まれ。「ウチナー」だ。

 

こうなると、デスラー総統は「ヤマトの諸君」ではなく。

 

「ヤマトの諸君とウチナーの君」と言わなければならない。

 

 

うるさい?

 

そうですね。

 

でも黒木さんは(その家族は)どう思っているのかなあ、

なんて考えてしまう

 

めんどくさい大人になりましたとさ。

 



「宇宙戦艦ウチナー」作る?

 

主題歌「ビギン」主演「ガレッジセール」戦闘員「スピード」

艦長「具志堅
用高

 

はいさーい、戦わないで歌って踊るウチナーが地球を救うサー。

 

いいなあー沖縄行きたいよー。



石垣島のジェイコブ元気かなあ


「父ちゃんは負けなかった」の「ヤマト」



映画「宇宙戦艦ヤマト」に僕を連れて行ってくれたのは

 

大日本帝国海軍に徴兵されていた母方の祖父でした。




優しい人でした



 

アニメ映画に付き合ってもらったのに、おじいちゃんは映画の帰りに

 

「いい映画だったね」と言っていたのを覚えてる。

 

 

あとでわかったんだけど、この「宇宙戦艦ヤマト」という作品は

 


「軍国少年の太平洋戦争のやり直しの夢」として見ると

すごくしっくりくる。

 

実際、松本先生の父親は戦争中パイロットで、

 

「戦後おとなしくなってしまった父親に

もう一度飛行機に乗って欲しかった」

 

みたいなことを松本先生は言っている。

 

子供にとって父はヒーローだから

 

「父ちゃんは負け犬じゃない」

 

という思いがあるのは当然だ。

 

それが西崎氏の企画と重なって、あの「ヤマト」になった

と考えると興味深い。


 

沈んだ戦艦を最新技術で復活。沖田艦長の存在。

 

敵はなぜかかつての同盟国のナチスっぽいというのも面白いし、

 

アメリカ的なものを完全に無視して、

 

向かう先がなぜか「ロシア風美女のいる星」だ。

 

この作品にはアメリカという国は地球に存在してない。
(ように見える)

 

かつて軍国少年だった世代の複雑な思いが「イメージ化」している。

 

ガミラスを全体主義として描いて、

 

ヤマトは自由な空気があるのかというと

 

まだまだ「帝国軍隊」の空気が当然のように満ちている。

 

そこを酒飲みの医者と機関長が「昭和大衆文化」な感じで和らげてるのが松本流だ。

 

 

この作品を「フロイト的」に分析するのも面白い。

 

ジブリ作品のフロイト分析の面白さには負けるけど。

 

キャプテンハーロックのフロイト分析も面白いね。

 

あからさま過ぎるかな、ハーロックとナウシカは。

 

 

 

ともかく、こんな風に時代の集合的無意識が乗っかった作品は

幸福だと思う。

 

どちらにしても時代を経て冷静に見ると「表現」とは

 

「イメージ化した無意識」なのかなあ、なんて思う。

 

それが時代の気分に一致する人が「天才」とか言われるだけのことかもしれない。

 




 

「あの主人公はまるで私」

 

でも、私は時代とともに変わっていく。

 

今回のヤマトで、何度かアニメ版の音楽が流れる。

 

あの女の人の高音で美しいスキャットをバックにお馴染みのナレーションが乗る

 

「無限に広がる大宇宙・・」

 

その瞬間、僕は「あの時の僕」になってたね。

 

ね?これだけでも見る価値あるでしょ?おじさんになった同世代の皆様。

 

あ、おじさんに言いたいこと忘れてた。

 

黒木メイサの「森雪」最高です。

 

 

 

 

 

バトルシップ ヤマト

 

昨日は「バトルシップ ヤマト」の試写会でした。

 

そうです、あの「キムタクヤマト」です。




 

監督の山崎貴さんは「3丁目の夕日」とか

「くれよんしんちゃんの名作」を撮ってきた人らしい。

 

 

その山崎さんと対談できることになったので、

最新作を見てからじゃないと失礼だから

「嵐のネーム地獄」を抜け出して見てきたわけです。

 

ヤマトは世代によっては神格化してる作品だし、

 

おまけにリアルタイム世代は「キムタク大好き」な世代じゃ

ないので、

 

これはもう始まる前から世論は「バトルシップ」な感じだ。

 

「エヴァ」のシンジくんを「東方神起」のなんとかさんがやります、

みたいな感じかな?




もう見る前から「ケチをつけたい人の空気」を感じる。

なんでキムタクなんだよ、とかいう気分とか、

俺のほうが「ヤマト」を知ってる、とか、何だかんだ。



 

でも集客ないと次に繋がらないし、お金と政治と表現だとか

何だとか、プロデューサーも大変な仕事だよね。

 




映画の世界はもう「大人の世界」もいいとこで、

 

ビジネスと政治的何とかの実弾が飛び交う中で、

何かを伝えようという、

 

「本当は純情映画少年」たちが戦う世界だ。

 

僕も映画を作るのが夢だけど、外から見ていてもこれは

「大変な世界」だと思う。

 




映画公開がらみでの取材をしてると

 

「お前宣伝に利用されていいのかよ?」という人もいるけど、

 

 

僕は「本当に嫌いな人」の取材はしないので問題はないのだ。

 

しかも映画の宣伝の時にはその人はすでにその映画を撮り終えてて、

 

1個人に戻っていることが多いので、

わりと映画全般の話や人生の話なんかもできて、

 

かなり「有意義な出会い」になることも多い。

 

しかも僕は個人的にその人に会いたくて来てる1人の漫画家なので、

 

相手は「こいつ仕事で来てないな」と、感じるみたいだ。

 

実際そうだし。こうなると大体は話が盛り上がる。



いいからキムタクヤマトはどうなんだって?


うーん

 

それにしても「ヤマト」言いたいことが多すぎるね。

 

書ききれないから何度か書きます。

 



この映画を見るべきか?

 



これはね、ヤマト直撃世代に特にお勧めです。

 

同級生何人かで会社帰りに見たらその後の飲み会は盛り上がるだろうねー。

 

俺も参加したいもん。ロフトの「ヤマトナイト」やるなら呼んでね。

 

 

 


「煮詰まると繁殖」の終わり


しつこいけどまたバンド「世界の終わり」の話です。

 





彼らのことを何も知らないけど、とにかく興味深い。

 

大体このバンド名。

 

ほっておくわけにはいかない。

 

 

 

昔、井上陽水御大が「都会では自殺する若者が増えている」

と歌っていて

 

その曲はどういう展開をするかというと

「君に会いに行かなくちゃ」となる。

 



なにやら「深刻な問題」を抱えた時の落とし所は「彼女に会う」だ。

 





これはもう定番で、イエモンの「JAM」でも

 

「外国に飛行機が落ちました、ニュースキャスターは嬉しそうに

 

乗客に日本人はいませんでした」と、「いい絶望」をかましたあと

 

「こんな夜は、君に会いたくて」となる。

 

 

これがブルハになると

「どこかの爆弾より、目の前のあなたのほうが大事件」となり

 

「チェルノブイリには行きたくねえ、あの娘とキスがしたいだけ」

とくる。

 

キヨシローは「こんな夜にお前に乗れないなんて」とくる。

 

 

どうやら男は

「深刻な問題に直面した時ほど、女が欲しくなる生き物」らしい。

 


「煮詰まったら繁殖」の法則だ。

 

なんだか「問題の解決は次世代に先送り」みたいにも感じる。

 

人間の遺伝的性質かもしれない。

 

 

陽水御大はそのへんを察知しているのか

 

「それは、いいことだろ?」と続けている。

 

なんか「さすが」な感じ。

 

僕はこんな曲たちの気分が良くわかるし、大好き。

 


煮詰まったら抱き合いたいのが人間。

 

いいよね。

 



 

でも、この「世界の終わり」は違う。

 


彼らの歌に「彼女」も「恋人」も「きみ」もほとんど出てこない。

 

ひたすら「終わり」を歌うだけなのだ。

 



人間のせいで死んでいく生き物のことや、

 

大好きな海や生き物たちのことを歌うけど

 

世界の終わりがきても彼らは繁殖行動に向かわない。

 

これぞ本当の「世界の終わり」だ

 


「世代の終わり」か。

 

 

生物は増えすぎると自殺を始める遺伝子を持っていて

 

それは「アポトーシス」とか「アポビオーシス」とかいうらしい。

 

そして、それはすでに作動していると言う人がいるけど

 

まさにこのバンドは「歌うアポトーシス」

 

 

彼らは「滅びたくない」なんて言わない

 

「ああ、終わっちゃうね」

 

「好きだったのにな、この世界」

 

「あーあ」

 

「さよなら」

 

みたいな感じだ。

 

 

陽水御大、どう思われます?

 

笑います?

 

笑いそうですね。


でも、僕は笑えない。前も書いたけど共感する。

ここまで振り切れる表現はリスペクトする。

なんか今後も追いかけてしまいそうだ。

 



とかいいつつ、このバンドの子たちも数年後はベビーカー押しながら

 

ショッピングモールでため息ついてんのかね?

 

興味深い。

 



むしろそういう未来を願うね



腰にくるやつ



人は14歳の時に聴いていた音楽を一生聴き続け崇め続ける


なんていうけど

 

これはあるかもしれない。世代ってそういうふうにできてる。

 

君は何時代のものか?


「ガンダム好きは浜田省吾好きだしねー」とか

 

「ルーズ世代はガンズ直撃だねー」とか

 

「ヤマト世代には百恵だ―」とか・・

 

初めて見た動くものをずっと母親だと信じる・・ってやつだね。





 

僕の世代は深夜ラジオでYMO発見したやつが1番最先端のやつ

・・って時代で、

 

70年代歌謡曲が松田聖子時代に移行するのが表面の文化で、

 

裏ではテクノとかパンクとか発芽してた。

 

健全なニューミュージックが大爆発してたので、

 

僕の周りはみんな「ヤマハのポプコン音楽」という

 

今は誰も知らない世界の音楽を聴いてました。

有名なのは、
中島みゆきとかアリスとか甲斐バンドとかサザン。

 

これはもう世代としか言いようがないね。

 

(甲斐バンド、サザンの初期ものは今も聴く)




悩みまくりの受験生時代 



僕に限って言えば本当の音楽的刷り込みは少し遅くて、

 

バンドブーム前夜の1985年くらいだと思う。

 

ブルーハーツとかフランキーゴーズトゥーハリウッド

とかはリアルタイム。(フランキーは今も聴く)

 


筋肉少女帯のデビューも鮮明に覚えてる。
 

アンジー、レピッシュと併せてヘビーローテの20代前半。

歌詞が文学なのが入った。

 

洋楽の洗礼はMTVMJあたりから

 

デュランデュランとかポリス、スティング。

 

みたいなメジャーなとこから

 

彼女の影響で「スタイルカウンシル」なんて

よくわからないものをうろうろしつつ、

 

ついに「ドアーズ」にぶつかる。ハートに火をつけられる。

 

オージーナイスガイのマシュー



そのへんからは60年代アーカイブ時代で、貪欲、雑食、

第一期ビートルズマイブームは85年、

 

そこからクイーンだのジミヘンだのピストルズだの大祭りだ。

 

 

こういう波は何度となく来る。来るよねー
 

で、90年代にレゲエ、HIPHOPと王道を通過、

 

まあ、演歌とプログレと歌謡ロックとアイドル以外は

食わず嫌いしないで1度は聴いてきました。

 


椎名林檎の登場とかスガシカオ誕生とかの大騒ぎにも参加してます。

 

最近も「相対性理論台風」にまかれたり。

いいねマベ歌詞とえつこボイス。まさに現代。

80Sチャイナなサウンドもいい。旦那さんありがとさん。


イエモンのブレイクも参加した。

「太陽が燃えている」燃えました。

HIDEの「ピンクスパイダー」も凄く好き。

ガールズもかなり聴く、小島真由美とか元ちとせとか広く。

最近のYUKIもいいねえ。

 

どうも好きになる音楽家の基準は、歌詞のセンスと

作り手の「絶望感」にあるみたいだ。

 

(ただ暗いんじゃなくて絶望を下敷きにしてる感じ)

 

 



で、iPOD時代だ。

 



長い?

 

せっかくどんな時代の音楽でも気軽に聴ける時代になったのだから

 

似たような曲ばかり聴かないで色々試すと面白いと思う。

 

お勧めは「腰に来る地雷曲」をまぜてシャッフル再生だ。

 

JPOPのとかの中にジミヘンの「ヘイジョー」とか

「ブードゥーチャイルド」混ぜるとかね。

 

腰に来ます。今の音楽と比較すると凄いです。

 

初期の和田アキ子とかも「いい地雷」になるね。

 

レコードやCDでは中々体験できなかったことです。

 

何が失われたのかがわかります。

 


ドリフターズとかジャニスとかも

 


成長しないための成長

 

「成長しないって約束じゃん」

 

なんて曲がありましたけど、

 

今、人類存続のために世界中で始まっているのが

 

「成長をやめること」です。

 






「あたしもうやめたー世界征服やめたー」です。

 


地球に住める人間の数は限られていて

 

もうはるかに限界を超えた数の人間が住んでいる地球なので、

 

もう成長とかして自然を浪費する余裕はないというわけです。

 


この場合の成長は「経済とかの成長」のことで

 

ガンガン掘ってガンガン埋めてガンガン作ってガンガン売ると優勝

 

というレースを止めようという話です。

 




冷静に考えれば、そうしないと人類は滅亡なのはわかる時代なので、

 

1部の人たちは冷静に

 

「土地を汚染せず、必要な分だけのものを作り、

毎年同じような収穫をして、つつましく幸せな、

 

世界征服なんか考えない社会」を作りましょう、

と動いてます。

 

 

すごくあたり前の事だし、これなしに人類の未来はない。
 

この方向に向かわないと


1部の金持ちだのが生き残って

 

最初に貧しい人と運のない人が死んで。

若手バンドは「神様、人類を滅ぼしてください」と歌って。




結局金持ちも死に絶えます。




 

 

でも、マスコミも政府も口をそろえて「成長しなければ」という。

 



羽田の国際化も「成長」とか「便利」とかまるで昭和だ。

 

でも一方でそういうことに「すごく冷めた空気」も感じる。

 

 

 

この国の思想は真っ二つになってるみたいだ。

 

 

困ったことにこの2つの考えは

 

未来のために頑張ろうというけど「頑張る方向」が正反対だ。

 

 

成長か?循環か?

 

 

個人的には人間は成長していかないとダメだと思うけど

 

経済とか軍事とか開発で成長する時代は終わりなのだと思う。

 

 

わかり切ったことだけど「足るを知る」という「精神的成長」

 

うーん、今更僕は何を書いてるんだろうな。




NY郊外の自給自足村





若い世代は「もう充分だよ」と思っている気がしてならない。

 





勝った10%だけ大金持ちになるレースに人生を賭けるか?

 

これを今の小学生はどれくらい「賭ける」というのかな?

 

「自分だけは勝つからあとの負けた90%は貧乏でもいいや」

 

なんて思うのかな?

 


ねえ羽田空港拡張。そんなにいいことか?

 

可愛そうな子供たちは「2種類の大人の間」に立たされてる。

 



100
年前の成長は

「利他とか献身ができる人間になること」だったはずなのになあ。

 





これもまた
1部の人だけの話で

そもそも人間ってのは90%の不幸を願う生き物なのかね?



いいから漫画家として成長しろ?

そうですね


 
泣かせるお土産だけど歴史的に見ると複雑な気分になる




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